寒い…この時期の朝は寒い。

朝露が身体に当たり、身体が冷たくなる。

私が身体を丸めて、寒さをしのごうとしていると声が聞こえた。

「う〜…重い…外に出るのはいいけど、こういう輩に憑かれるのが難だなぁ…」

声の主は私の真ん前まで来て立ち止まった。私はその人をまじまじと観察してみた。

黒に近いこげ茶の髪。そして…黒い服を着ていた。歳は人間で言うと14歳くらい、か?

それに、この少年の背中には変な物体がついている。なんだか、おぞましい。

「いい加減、離れてほしいな」

少年がそういうと、少年の周りから光があふれ出した。

辺り一帯がまばゆい光に包まれた。








迷子の話







とても、暖かい…気持ちが良くて目が開かない。一体ここはどこなのだろう。私は耳だけそばたてた。

声が…聞こえる。

「どうするの?その猫…?」

「どーしようかね。弱ってたから、とりあえず連れてきちゃったけど」

さっき、林の中にいた少年の声がした。もう一人の声は誰だかわからない。

でも、あの少年より若いのは確かだ。

あぁ…また眠気が…もうしばらく寝ることにしよう。

―…

「にゃー」

「…朱辿、猫が起きたよ」

林の中にいた少年は朱辿…と言うらしい。

「じゃあヴァルム、この子にミルクでもあげて。今、手を離せないから、頼むよ」

金髪の少年の方はヴァルムと言うらしい。

「わかった…」

そう言うとヴァルムは扉を開けてどこかへ行ってしまった。

私はとことこと少年が座っている椅子へと行き、ピョンと机へと飛び乗った。

朱辿は何やら忙しそうにカリカリと何かを書いている。

私は猫なので人間の文字は読めない。だから、ナニかを書いている、としか表現のしようがない。

私は興味深げに少年の作業を見ている。

「うー終わったー」

朱辿は大きく伸びをしながらそう言った。そして私に目を向けた。

「お前は賢いね」

朱辿は私の頭をなでた。私はそれにおとなしく従った。

「そうだ。まだ名前を与えていなかったね…そうだな、朝霧。君は今日から朝霧だ」

朱辿は微笑みながら私に名をくれた。

すると、どこからともなく鈴の音が聞こえた。

チリーン―…

「どうやらお客さんが来たようだね」

朱辿が目の前にある扉を見つめてポツリと言った。

その扉は開き、中から先ほど出て行ったヴァルムという少年ではない人間がこの部屋に入ってきた。

その人間に向かって朱辿は言葉を投げた。

「ようこそ。占いの館『フォリング』へ」

……私が今いるこの家は占いの館だったのか―・・・






朱辿が占いの館というところに入ってきた人間の女は朱辿の真向かいに座り悩みを打ち明けている。

何でもその女はタレント活動をしているらしいが、どうにも売れ行きがよくないらしい。

それで、どうやったら自分は売れるようになるのか・・・と朱辿に話していた。

猫の私には幾度、分からない内容ではあった。

彼女の話を聞き終わると朱辿は立ち上がり、数多くある棚に飾ってある品々を見回し、一つの手鏡を取り出した。

「この手鏡を君に託そう」

朱辿は元の席に着くと手鏡を女に見せながら言った。

「この鏡には未来の自分の姿が映る。その姿を見て失敗しないようにすればいい」

女は胡散臭そうな顔をして朱辿を見つめている。

「・・・ここは占いの館なんでしょう?なんでこの場で占ってくれないのよ?」

もっともな意見だな。

「だから、この鏡が君の今後のことを占ってくれるのさ。ボクはその占いの道具を君に託すだけ・・・君はこの手鏡、いらないのかな?」

女はしばらく黙った後、一つ溜息をついて口を開いた。

「わかったわ。その鏡、私に頂戴」

朱辿は不敵な笑みを形作ると女に告げた。


「5万円」


「は?」

「だから、5万円出せって言ってるの。タダじゃないんだよコレ。世の中 give and take なの知ってるよね?」

「〜〜〜・・・わかったわよ!!これでいいんでしょうっ!!?」

女は勢いよく5万円を机に叩きつけた。

・・・この人間、性格に難あり・・・だな。

5万年を受け取った朱辿は手鏡を女に渡した。

その時の朱辿の瞳が妖しく輝いていたような気がした。

「最後に忠告をしておこう。この手鏡を覗くのは3回までだ。その3回を通り越して覗き見てしまうと大変なことになってしまうよ」

「・・・わかったわ」

女はどこか納得がいかないような顔をして席を立った

「お客様のお帰りだ。・・・ヴァル!・・・・・・は、いないんだっけ。しょうがないなぁ・・・」

朱辿は席を立って女の帰り道を先導していく。

私も朱辿の後をついていくことにした。

それに気づいた朱辿が私に目線を合わせるように屈みこみ、私に話しかけた。

「朝霧、他の扉は気にしちゃいけないよ。前だけを見てるんだ。いいね?」

私は返事の変わりに「にゃあ」と泣いてみた。

それに満足したのか朱辿はこの部屋の扉を開き、廊下と思しきところを歩き出した。

女の様子からして気づいていないのだろう。

きっと、この女からしてみればただ何もない一本道の廊下なのだろう。

だが、私にはわかる。

この何もない一本道の廊下には

得体の知れない無数の扉があるということを――・・・


先ほどの女を扉の外へと押しやると、朱辿は元の部屋へ戻ってテレビを付けた。

すると、そこには先ほどの女が移っていた。

「ふぅん。どうやら、上手くやっているようだね」

テレビを見た朱辿がそんなことを言った。

さっき、ここを出たばっかの女がすぐにテレビにたくさん出れるわけがない。

時があわなすぎる。そこで考えられることは一つだけだ。

この部屋…いや、この屋敷と扉の向こう側の世界とは時間の流れ方が違うのではないか。

私はそう思わずにはいられなかった。

そうでなければ、この現象は考えられない。

朱辿はテレビを消して、部屋から出て行こうとする。私はその後を追った。

朱辿の後を追っていると一つの部屋に辿り着いた。

その部屋の中央には水溜まり場がある。

朱辿がその水溜まり場まで行くと、朱辿の瞳が青色に輝きだした。

すると、水溜まり場にはなんかの映像が映し出される。

映し出されたものは、先ほどの女。

水溜まり場…と思っていた場所はどうやら水面鏡といわれるものらしい。

水面鏡に映し出されるものは売れっ子になるまでの女の行動だった。

この屋敷から出た女はマネージャーから仕事のオファー?を貰ったとかで、マネージャーがいなくなった後

朱辿から買い取った手鏡をおもむろに見た。

「まずは一回目」

その光景に朱辿がカウントする。

水面鏡が今までの女の行動を映し出し、ついに先ほどテレビで見たような光景のところまで来た。

これでやっと時間が同じになった。

ここまで辿り着く間に女は朱辿から貰った手鏡を3回も見てしまっている。

仕事を終えた女は家に帰ると鞄から手鏡を取り出した。



「あーぁ…だから、言ったのに……」



部屋の中で朱辿の声が無情に響いた。

女は朱辿の忠告を無視して、己の欲望に負けたのか4回目の手鏡を見た。

すると、手鏡から手が伸びて、あの女を鏡の中へと引きずりこんでしまった。





「4という数字は死を意味するからね。彼女の分身とも言っていい欲に飲み込まれてしまったんだ。愚かだね」


冷ややかに言うと朱辿は水面鏡から目を逸らし、この部屋から出ようとする。

もう、この部屋には用がないと言うように。

そして、また長い長い廊下を歩く。

すると、朱辿があの女を送るときに私に言っていた言葉を思い出す。

―・・・朝霧、他の扉は気にしちゃいけないよ。前だけを見てるんだ。いいね?

これも、朱辿の忠告だ。しかも、私に対しての。

忠告を無視すれば、私もあの女のようになってしまうのだろうか・・・?

長い長い廊下を歩いてちょっとした広場に出た。

中庭―・・・というやつだろうか・・・

そこには噴水や、たくさんの植物などが生息している。

水面鏡のある部屋まで行く時に通った場所だ。

この広場にも扉がある。植物に囲まれ、つるがへばりついている、真っ白い扉。

私はその扉が気になって気になってしょうがなかった。

私はこの時点でもう、朱辿の忠告を守れてはいなかったのだ。

私は真っ白い扉に引き寄せられるように歩いていく。

扉の前まで来ると、私は立ち止まり、ゆっくりと朱辿の方へと振り向いた。

朱辿は先ほどから立ち止まって私の行動を見守っているようだった。

「行っておいで。朝霧、君はその扉が一番気になったのだろう?だったら行った方がいい」

朱辿は優しく微笑んで私にそう言ってくれた。

朱辿がそう言うなら、私はあの女のようにはならないだろう。

そうだ、少しだけ、少しだけ覗いて戻ってくればいい。

そう思った私は朱辿から顔を戻し、扉と向き合った。

すると、真っ白い扉はひとりでに開いた。私は開いた扉の中に顔を突っ込んで中を窺った。

中も扉と同じで白い。何もかもが白い。視界が白一色で染まる。だけど・・・どこか懐かしい感じがする。

私は一歩、また一歩と歩を進めた―…



******



ガチャッ・・・


「やぁ、お帰り」

扉が開き朱辿が笑顔で挨拶をする。

「ヴァルム」

それは金髪の少年に向けられての言葉だった。

「ただいま・・・」

ヴァルムも朱辿に挨拶を交わす。

「・・・ミルク、買ってきた」

ミルクが入っているであろう紙袋をテーブルの上に置くヴァルム。

「ついでに、朝霧の死体も埋葬してきた・・・」

「ありがとう。ヴァル」

ヴァルムの言葉にフワリと笑みを返して言う朱辿。

「この屋敷に生身の生き物が招待状もなしに来れるわけがない。

 きっと、朝霧はこの屋敷の近くで死んで、死んだことを理解してないままこの屋敷の敷地内に迷い込んでしまったんだろうね。

 でも、今さっきやっと自分の居場所を見つけて行ったよ」

「じゃあ、朝霧は再生の扉に入って行ったんだ・・・」

「うん。人間で言うところ、天国ってやつに朝霧は行ったよ。それが朝霧にとって一番いい道なんだ」

少し、寂しそうに言う朱辿。


迷子の子猫に僕は正しい帰り道を教えてあげられただろうか―・・・

朱辿はそんなことを思いながら再生の扉をくぐって行ってしまった朝霧のことを心に描いた。













迷子の話 end