指を怪我した
スパッと肉が裂け、血がジワジワと滲み滴る
怪我は二日もしたら治った
でも、心はそう簡単には治らない
治ったと思っても些細なきっかけさえあればすぐに傷は広がり
血で真赤に染まる
それを何度も何度も繰り返す
心の話
あぁ、まただ
私の内からジワジワと溢れ、流れ出すモノ
それはすぐに私の心を満たし、決壊していくだろう
そうならないように、ソレを私は少しずつ少しずつ消化せねばならないのだ
A5の紙と鉛筆を持って
仕事中にも関わらず私は一心不乱に紙と格闘する
心から溢れてくる言葉の数々を紙に書き込んでいく
それは数分の出来事だ
数分でA5の紙は両面とも字で覆い尽くされ真っ黒になる
それを見て私はやっと落ち着くのだった
数々のトラウマが頭をよぎっては傷が広がり
こういうことを何回も何回も繰り返すのだ
トラウマなんか忘れてしまえればいいのに
でも、そうしないのは、自分がやってきたことを忘れないため
だから忘れることなく悪夢のように何回も何回も繰り返されるのだ
そうやって自分を追い詰めていることはわかっている
でも、どうしようもないのだ
こればかりは…
仕事が終わり、帰る途中
女子中学生の群れと遭遇し、私はその群れの後ろを歩いていた
その時だ
私がその噂を耳にしたのは
「ねぇねぇ知ってる?
午後4時のK番地に行くと普段は赤いポストのハズなのに
黒くなってるんだってー」
「あ、その噂聞いたことあるよ!
確か、そのポストに悩みを書いて入れると、悩みが解決するんだったよね!
」
「悩みか〜じゃあ、あたし、どうやったら痩せれますか?って入れてみよっかな」
「あんた、何言ってんのーもぅ!」
キャハハハ
と、笑い声を出しながら歩き去る女子中学生
私は女子中学生とは別の道を曲がって線路沿いを歩きながら
さっきの話題を思い返していた
”午後4時のK番地の黒いポストに手紙を入れると悩みが解決する…”
私の心に巣くう過去の遺物共を消し去ることも可能なのだろうか・・・
消し去ることはできなくとも、少しは楽になることができるのだろうか・・・
私は自分の心の限界を感じていた
+++
チリーン・・・
ハラリと机に手紙が落ちた。
それを手に取る少年。
その少年は口元に笑みを浮かべた。
「ヴァルム、久々の上玉だよ」
+++
昨日の今日で、私は頑張って早起きをしてそのポストに手紙を出してきた
今日も一日お勤めして、家のポストを開けてみる
たくさんの広告やらなんやらを取り出す
家に帰ってから、どんな広告が入っているかをチェックした
その中に、一つだけ風変わりのものを見つけた
それは招待状だった
「悩める子羊よ、我が屋敷に案内しよう。さぁ扉をくぐってコチラへ――…?」
招待状の中身を読みながら自分の部屋へと入って行った
「ようこそ。占いの館『フォリング』へ」
「え?」
確かに、今、私は私の部屋へと入ったはず
なのに、どうしてここは私の部屋ではなくて・・・
こんな、こんな…
妖しい雰囲気バリバリの薄暗い部屋になっているの!?
「さぁ、君の悩みを言ってごらん。その悩みが解消できるように占ってあげるよ」
この部屋の主なのだろう少年が声をかけてくる
まさか…まさか、あの噂ってこういうことだったの!?
「いつまで突っ立ってんの?さっさと椅子に座りなよ」
私は少年に促されるままに椅子に座り、悩みを打ち明けた
自然とこの少年の瞳を見ると口から言葉が出てきた
「なるほどね・・・ボクが君に言えることは唯一つ
」
「・・・」
「洗え」
「はい?」
この子供は何を言っているのだろうか
いったい、何を洗えというのだろうか
「手を洗うときに嫌なことを思い浮かべながら洗いなよ
嫌なことが思い浮かばなくなるまで洗い流すんだ。いいね」
「あ、はい・・・あの、本当にそれだけでいいんですか?」
「問題ないよ。普通の人ならね」
なんか、聞き捨てならない言葉が含まれていたような・・・
「ま〜あ?心配ならコレあげてもいいんだけど」
少年がコレというものを私の目の前にだした
「あの、これって石鹸・・・」
「そうだよ。石鹸だよ。コレ使えば確実だよ」
その石鹸は赤かった
薔薇の石鹸だろうか
それともベリー系の・・・?
ここからでも十分香りが漂ってくる
不思議な石鹸だった
「いるの?いらないの?」
「い、いります!!」
思わずそう言っていた
「そう。じゃあ、10万払って」
「10万って・・・!?石鹸がなんでそんな値段するの!」
「この石鹸はただの石鹸じゃないよ。君の心に付着した悪いものを浮かして洗い流してくれるものなんだ」
「さっきの占いはソレを買わせるための布石だったってわけね・・・」
ニコと少年が笑みを作る
・・・なんか気に食わない
この少年の思い通りにさせられてるみたいで気に入らない
「ここに、口座番号書いて。君がちゃんと心の不純物が取り除けたら10万貰うから」
紙を一枚手渡される
今すぐに払うわけではなさそうだ
それに、効果が出たら払えばいいらしい
・・・それなら
「わかった。それ頂きます」
私は手渡された紙に口座番号を書いていった
「毎度あり。さあ、ヴァルム。お客様のお帰りだよ。案内して」
少年がそういうと、少年より小さな金髪の男の子が私の傍に来た
そして、その男の子に促されるままに私は歩を進めていった
「そうそう」
扉の前まで来ると、先ほどの黒に近いこげ茶の少年が口を開いた
扉も開いていく
「決して、手、以外は洗わないこと。じゃないと余計なものも洗い流すことになっちゃうからね」
少年が言い終わるのと同時に私は金髪の少年に扉の外へと突き飛ばされた
バタン、と重い扉が閉まる音を聞いた
気がつくと私は自分の部屋にいた
夢…かとも思ったが手には先ほど少年から買わされた石鹸が握られている
どうやら夢ではなさそうだ
会社の荷物や上着などそこらへんに置いてから洗面所へと向かう
アノ石鹸を持って
水を出して手を洗う
そこで、ふと思った
”悪いものを洗い流してくれる”
と少年は言った
では、洗った後はどうなってしまうのだろう。と
忘れてしまうのだろうか
忘れてしまっては意味はないのだ
これは私への戒めであり罰なのだから
『もう、いいよ』の一言がない限り、忘れてはいけないのだ
そんな言葉がかけられるのがゼロに等しくとも
忘れてはいけない。私がやったことを
―…また、ドロドロと溢れだしてくるのがわかる
そうだ。私は楽になってはいけないのだ
あぁ、なんで私は楽になりたいのだと思ってしまったのだろう
こんな風に思っているから叩かれるのだ
ダメ、ダメ、ダメ、ダメダメダメダメダメ…!
忘れるな忘れるな忘れるな忘れるな忘れるな…!
ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!
―…いつまで私はこうしてればいい?
ダメだよ。許しの言葉を得るまでは罪を、罰を、受け続けなければ…
ドロドロと流れてくる
楽になりたい。けど、楽になってはいけない
そんな思いが混ざり合って、心が締め付けられる
苦しい
私は無我夢中で石鹸で手を洗った
すると、みるみるうちに赤い泡が黒くなって水と共に流れて行く
その黒い泡は途切れることなく出ていく
「なんで、なんで・・・!!!いつまで洗ってればいいのよ!!」
いつまで、こんなこと続けてればいいのだろう
黒かった泡は次第に白い泡へとなっていった
私はやっと手洗いが終わったことに安堵の溜息をついた
+++
カチカチ。と、クリック音がする。
「何、見てるの…朱辿…?」
金髪の子供、ヴァルムが黒に近いこげ茶の少年に尋ねる。
「掲示板。見てるのさ」
「インターネットの?」
「うん。よくもまぁ飽きずにターゲットを見つけては叩いてるよねぇ」
カリカリ。スクロールさせる音が響く。
「悪口、陰口、中傷、批判…インターネット時代になるとますます加速していってるよね…」
「そうだね〜叩くだけ叩いて、それで終わりだしね。叩かれた方も、マナー違反か何かやらかしちゃったかもしれないけどさ
こういうのって意外と被害者より加害者の方が重くとっちゃうんだよね」
「…今日、来たお客さんもそういう口なの…?」
「みたいだよ」
朱辿はヴァルムにパソコンの画面が見えるように向きを変えた。
+++
今日は、会社の帰りに何気なく銀行に寄って、貯金の残高を調べてきた
そしたら10万引かれていた
・・・どうやって知ったのだろうか
疑問に思いながら家に着いた
あの石鹸を使って、ちょっと私の今までの考えが変わった
私のやってしまったことは受け入れていたつもりだったが、反発心の方が強かったのだ
どうして、私だけ…!という気持ちが…
その反発心を隠すように懺悔をしていた。たくさん、たくさん
蛇口から水を出す
石鹸をつけて泡立てる
余計なものは洗い流してしまえばいいのだ
余計なもの。それはアノ、反発心
私の反発心は黒い泡となって水と一緒に流れ落ちていった
水を止め、手をふく
そして、一息
これで、反発心という一番の心の障害がなくなった
これで、やっと踏み出せそうな気がした
過去は過去だ
だけど決して忘れてはいけない
同じ過ちを繰り返さないためにも心に爪を立てて傷痕を作る
忘れてはいけない
だけど、それに囚われてはいけない
囚われたままだと過去を活かせなくなるから。先へ行けないから
傷口からまた溢れだしたら、この石鹸を使って少しずつ少しずつ、整理していって綺麗にしていけばいいのだ
石鹸を貰ってから三日が過ぎた
石鹸はもう薄っぺらくなってしまっていた
あれから、私の発作めいた心情は治まりつつあった
今日でこの石鹸ともお別れだろう
そして、最後の手洗いを始めた
+++
「人間ってさ、結局自分で何とかするしかないんだよね」
「そうだね…今回のって、アレ?心理的な要素とか含んでたの…?
だって、あの石鹸・・・本当は・・・」
ニヤと、口元を歪ませる朱辿。
「そう、心の不純物を取り除く作用があるなんて大嘘さ!」
「・・・あの石鹸って確か、心の調子に合わせて泡の色が変わるんでしょ?」
「まぁ、原理はそんなもんだね。いや〜久々に大金が手に入ってよかったなぁ〜」
朱辿は手に持っている10万円を広げて数える
「朱辿・・・なんか元気になったよね…」
「そう?お金はね、人間に元気を与えてくれるモノの一つなんだよヴァル♪」
そして、部屋には朱辿のお札を数える声が響いていった。
『心の話』 END